厳島神社


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 今回で、この連載は最終回。100回近くを読んでいただいた読者のみなさんともお別れだ。最後に、僕にとっての一番クールな体験を、みなさんと共有したいと思う。

 22年間の滞在中、いろんな出会いがあり、いろんな場所へ行き、たくさんの体験をしたが、数年前、広島県の厳島神社で撮影のために過ごした一夜は、僕の心に深く刻み込まれている。それまでにも、何度も足を運んだことはあった。初めて訪れた時には他の観光客と同様、海中に立つ大きな朱塗りの鳥居に驚かされたものだ。

 この時は特別に、拝観時間が終わった夜に撮影させてもらうことができた。日が沈んだ後、白いちょうちんの光と月光に照らされる本殿を1人で歩き回った。慎重に写真のアングルを決め、数時間をかけて思う存分撮影した。遠い昔から立つ神社と一体化したような感じがして、とても神秘的な体験だった。

 日本を訪れて、何を「クール」と感じるかは人それぞれだ。古いお寺や神社のたたずまい、オタク文化、ハイテク、食文化、日本人の心遣い、日常の利便性など、どれか一つだけに絞るのは難しい。重い課題も多い日本社会だが、この2年間の連載で、「日本や日本人はまだまだ捨てたものじゃない」ということを、僕はアピールしたかった。もし、読者のみなさんにそういう気持ちになってもらえたとしたら、目標達成だ。

 では、またどこかの紙面でお会いしましょう! Au Revoir!


Posted at 06:05 午後     Read More  

 豆腐の引き売り


TofuStreetVendor.07_cropW.jpg  小説や映画、テレビドラマなどで、「懐かしい風景と音」として紹介されることもある「リヤカーに豆腐を積んでラッパ吹きながらやってくる豆腐屋さん」。年配の日本人ならば、子どもの頃の記憶として残っているだろうが、僕を含めて東京のど真ん中で暮らしている外国人は、映画などを通じて間接的に知るほかない。

 数カ月前、仕事場にいると、かん高い、聞き慣れない音が耳に入った。もしやしてこれが、古い映画で耳にした「豆腐屋さんのラッパ」? 勘違いか、タイムスリップでもしたか……数分後、ラッパの音は消え、僕も仕事に戻った。

 数日後、同じラッパの音がまた聞こえた。どうも前の週のラッパは、たまたまの出来事ではなかったようだ。そしてある日、ラッパを吹きながらリヤカーを引いている人とばったり出会ったので、声を掛けてみた。東京に豆腐の引き売りが復活していることを、彼の口から聞いて初めて知った。

 「よく外国人に写真を撮られるんですよ」と彼は言うが、無理もない。海外でもブームの豆腐がこんなふうに売られているなんて、外国人には驚きなのだ。

 東京・築地の豆腐店「野口屋」が、5年ほど前から始めたという。山の手の住宅地から下町まで、引き売り士は現在およそ200人。生ゆば、豆乳、ざる豆腐などを路上で売っている。毎日同じ時間に同じ場所を通るようにしているので、常連さんも多いそうだ。



Posted at 09:36 午後     Read More  

 150年前のクール・ジャパン


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今から約150年前、開港直後に日本を訪れたフランス人は帰国後、本国に初の日本ブームをもたらした。なぜか「MIKADO」と名づけられた掃除用磨き粉のチラシに侍のイラストが使われたり、新作香水のポスターに着物姿の芸者が現れたのは、1870年代だ。日本の浮世絵がゴッホや印象派の画家たちに影響を与えたことは僕も知っていたが、日用品に至るまで、日本のイメージがフランスで使われていたことは知らなかった。

 きっかけは、今月30日まで東京・銀座のシャネル・ネクサス・ホールで開催されている「交差する眼差し??クリスチャン ポラック コレクション」展だ。日仏関係史を40年間あまり研究してきたポラックは、幕末の横浜で描かれた浮世絵や、明治維新前後の日本をテーマにしたフランス人アーティストの作品を、長年にわたってコツコツ探し集めている。この展覧会ではそのコレクションの一部が、初めて公開されている。

 「今も昔も、日本とフランスはお互いに引かれあっている」と、ポラックは語る。「アメリカとは異なった感受性に、似たところがあるのではないか」

 この欄でも何度か書いたように、フランスでは今、日本のマンガやアニメが大人気。要するに浮世絵がマンガに置き換わったということか。150年たって、僕たちフランス人はまた同じことを繰り返したわけだと思ったら、ちょっと笑ってしまった。


Posted at 06:08 午後     Read More  

 七五三


Shichigosan_w.jpg  11月は七五三。親に連れられた小さな子どもたちが、和服を着て神社に詣で、記念写真を撮る光景をあちこちで見かける。偶然その場にいあわせた外国人観光客は、親に一声かけて、あるいは何も言わずに勝手に、写真を撮る。欧米人にとって、和服姿の子どもは珍しいのだ。読者の皆さんにもそういう経験があるかもしれない。我が娘も5年前の七五三に日光の東照宮にお参りした時、たくさん写真を撮られた。本人は写真嫌いなので大変迷惑そうだった。

 欧米には七五三のようにして子どもの成長を祝う行事はないが、発想として一番近いのは、「理性の年」と言われる7歳ごろにカトリックで行う「初聖体拝領」かもしれない。

 ご存じのようにカトリック教会のミサには、「ホスチヤ」と呼ばれる小さなパンを受け取る儀式がある。キリストの体をあらわすとされるこのパンを受け取るのは、信徒がキリストと一つになることを象徴している。幼すぎてそれが理解できない子どもには、聖体拝領は認められていない。つまり初聖体拝領をすませることは、一種の信仰上の成人式。大人の仲間入りなのだ。

 この特別な日、子どもは真っ白の式服を身につけ、英雄扱いだ。そして家族全員で新米信者を迎え、成長を喜ぶ。当然、記念写真がたくさん撮られる。もしその時、たまたま教会の前を通りかかる日本人観光客がいたら、カメラを構えるだろうか?


Posted at 04:40 午後     Read More  

 東京のねぶた祭り


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 何年も前のことだが、2週間かけて、八戸の三社大祭、青森のねぶた、弘前のねぷた、五所川原の立佞武多と秋田の竿灯を見に旅した夏は、今でも僕の大切な思い出の一つだ。こうして青森のねぶたが大好きになった僕は、世田谷区に住む友だちに「東京にもあるよ」と教えられたとき、「行かなきゃ!」と思った。そして先週末、桜新町で開催された「ねぷた祭」を見に行った。

 今年で5回目。山車の数は6。青森や弘前よりかなり小規模だが、年々増えているらしい。道の幅があまり広くないため、山車は本場よりはるかに小ぶりだ。でも手作りが感あふれて、気さくな感じがする。久しぶりでハネト(山車のまわりで「跳ねて」いる人々のこと)の元気な「ラッセラ、ラッセラー」を聞いて、僕もかなり盛り上がった。

 「サザエさん」の作者・長谷川町子さんが暮らしていた街なので、サザエさんをモチーフにした山車も出ている。子どもには大人気のようだ。もちろん、神話や歴史を題材にした山車もある。

 写真を撮っていたら、外国人男性に声をかけられた。ドイツ人で、近くに住んでいるという。「よく知っていると思っていた街なのに、祭りというとすっかり様子が変わってしてしまう。地元密着の小さなイベントなのに」と驚いていた。在日2年の彼は、ねぷたの山車を初めて見たのだが、日本にいる間に青森で本物を体験したい、と話してくれた。


Posted at 10:58 午前     Read More  

 書道


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  筆の文化になじみのない欧米人に、書の良さは分かりづらい。文字の読みやすさとは別の基準で表現されている「何か」に見当がつかないからだ。在日36年のフランス人ピエール・ジル・ドゥロルムも、もちろんその1人だった。そんなピエール・ジルが9月2日から9日まで、東京・赤坂の草月会館で、家元の勅使河原茜氏の竹を使ったインスタレーションと一緒に、書と写真を展示する。

 彼を書道に目覚めさせたのは、書家の町春草氏。95年にNHKテレビで共演し、初めて筆を手にしたのがきっかけだった。残念ながら放送後まもなく先生は亡くなり、彼に筆と墨を残した。その筆と墨で仕上げた彼の初作品は、「どうも、どうもありがとう」。

 「筆を使って、言葉を視覚に訴える『形』で表現できるのが新鮮」という。言葉が頭に浮かぶと、それを表す形を決める。納得のいく形にたどり着くまで、試行錯誤が続く。この過程を経て初めて、言葉の奥深くにある「心」に近づけるのだそうだ。

 たとえば「好き」という言葉を、「す」と「き」が抱き合うかのように表す。「いつも」という言葉をハート形に見えるように書いて「永遠の愛」。和の技に仏のエスプリが利いている。

 実は僕自身、書は正直言っていまだによく分からないし、左利きだから書道に向かないと言われている。しかし彼のおかげで、書が何を表現する芸術なのか、一端を垣間見ることができた気がする。


Posted at 11:06 午後     Read More  

日本家屋 


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 この秋、フランス人の知人が東京に引っ越してくることになった。日本は奥さんの母国でもあり、彼にとっては念願の東京暮らしだ。

 日本のマンガが大好きな彼は、夏目漱石など明治の文学者の暮らしを描いた『「坊っちゃん」の時代』を読んで以来、ここ出てくるような古い日本家屋に惚れ込んでいる。木造一軒家で、縁側があって、ふすまと障子と畳の部屋。一番大事なのは、縁側から庭を楽しめること。彼曰く「仕事から戻り、縁側に座って、1杯飲みながら庭を眺めるのが夢だ」。

 一方、困っているのはそんな家を都内で探す奥さん。そもそも、こういう庭付きの家は都心にあまり残っていないし、寒さへの備えが不十分な日本家屋に住むことに乗り気ではない。住宅事情を説明してマンションも勧めたが、彼にとって個性のない東京のマンションは、まるで牢獄のように感じられるらしく、聞く耳を持たない。

 多くの日本人はただの旧式の不便な家と思っているかもしれないが、日本の伝統的な木造一軒家にあこがれる外国人は決してこの友人だけではない。「日本人がこういう家で暮らすのが嫌なら、その代わりに僕が大事にしたい」と息巻く友人。その熱は冷めそうになく、奥さんが頭を抱える日々はまだまだ続きそうだ。僕自身も縁側で庭の松を眺めたり、畳の上に寝ころんで本を読むのが大好きだが、こういうのを「隣の芝生は青い」っていうのかしら?


Posted at 11:03 午後     Read More  

 からくり


Karakuri-YumihikiDoji.SerieB.53CropW.jpg今回はちょっとしたマイブームを紹介したいと思う。

 僕は日本のからくり人形が大好きだ。200年近く前に作られたモノとは思えない技術レベルや、手の込んだ仕組みをコツコツと考える物作りの精神に魅了され、からくり関連のイベントや展覧会があれば、なるべく足を運ぶようにしている。自分で組み立てられるセットをお店で発見した時は、思わず「弓曳童子」というからくりを購入してしまった。

 原型は東芝の創業者でもある田中久重ことからくり儀右衛門が、1820年代に考案したモノだ。人形が4本の矢を1本ずつ矢立てから手に取り、弓につがえ、数十㌢離れた的を狙って連射する。一昨年、江戸東京博物館で行われた「夢大からくり展」で実物を見る機会があった。

 日々の忙しさに紛れて何カ月間も押し入れで眠らせていたが、年末年始の休みを利用してやっと箱から出した。説明書片手に一つずつパーツを組み立てていると、からくり儀右衛門の心を遠くからのぞいているような気がした。

 このからくりは、矢が的に命中せず、外れるよう調整することもできる。外すと気のせいか、童子は悔しそうだし、再度挑戦して当たると、笑顔を見せるようだ。人形に人格を感じさせる工夫が面白い。

 唯一残念なのは、説明書に日本語表記しかないことだ。からくり儀右衛門の言葉(日本語のことだ)を読めない外国人には、その面白さが味わえない。弓曳童子が次に狙うべきモノ、それは海外のファンの心だ。


Posted at 04:52 午前     Read More  

 歌舞伎


 

 Kabuki.09-CropW.jpgお正月、久しぶりに歌舞伎を見に行った。何の下調べもしないで見に行くことが多いのだが、そうすると話が全然わからないので、正直言ってちょっとつまらない。

 でも今回は事前に見どころや粗筋を調べて、團十郎が演じる助六の花道でのパフォーマンスを楽しみにしていた。にもかかわらず、席を手配したのがぎりぎりだったので、残っていたのは3階席だけ。オペラグラス必携のいつもの席だ。ケチっているのではなく、他の席がとれたためしがないのだ。
 3階席には外国人観光客がすごく多い。日本の伝統芸能として海外でも知られる歌舞伎をナマで見たい人たちが、ツアーの一環として訪れるのだ。果たして3階からでも歌舞伎初体験を本当に楽しめるのかな。1階席と比べて、3階席は舞台から離れているから心配だ。
 残念なことに僕の席からは、花道の團十郎がまったく見えなかった。楽しみにしていたのに……がっかり。まるで18世紀ヨーロッパの気分だ。当時の劇場では、貴族や裕福層が舞台近くに座り、庶民は天井桟敷から芝居を見ていた。でも21世紀には、もう少し工夫して、離れた席からでも歌舞伎を楽しむことができないかしら? 例えば、日本企業が誇る大型液晶画面を3階席に取り付けたら、どこからでも舞台が見えるようになるのでは? その画面に字幕をつけたら、粗筋が分からなくても歌舞伎を楽しめるのでは? こういうアイデアもクールじゃないかと、遠く3階席からすごく感じた。

Posted at 10:26 午後     Read More  

甘酒 


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初来日の際、まず日本の冬の澄んだ空気と高い青空の組み合わせに魅了された。それまで過ごして来たパリの冬は寒気と共に雲が低くたれ込み、しばしば冷たい雨も降る。そんな冬を誰が好きになれるだろう?以来21年間、お正月を一度もフランスで過ごしたことがない。そして長年、お正月を日本で過ごせば、「マイ伝統」も出来てくる。神楽坂に引っ越してからは、年越しの瞬間を必ず近所の神社で過ごすようになった。23時50分頃に家を出て、静かな真冬の夜を徒歩5分の神社へと歩く。同じように歩く他の人々も皆、目的地は同じだ。神社に着くと、参拝の列が少しずつ出来だしているが、まだまだ余裕。列に並び、お焚き上げの炎からはぜる火を眺めながら、カウントダウンを静かに待つ。神秘的な瞬間でもある。やがて除夜の鐘が鳴り、張りつめた空気が緩む。新年が明けると参拝客も増え、列も少しずつ進み出す。我が家の番ももうすぐだ。そして、参拝の後にはおみくじを買い、今年の家族3人の運を照らし合わせる。これが毎年の家族行事だ。でも、僕にとって本当の年明けは、境内で配られる甘酒を飲んだ瞬間だ。毎年、町内会のボランティアの方々が参拝客に一杯振る舞ってくれるのだ。冷えた指を紙コップを通して伝わる熱い甘酒で温めながら、少しずつ味わう。係の方が自分の家族と過ごす時間も甘酒と共に振る舞ってくれているのだと思うと、心も温まる。このささやかな心遣いは新しい年最初の良い出来事だ。ボランティアの皆さん、毎年Merci!


Posted at 10:17 午後     Read More  

 お節料理


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  明けましておめでとうございます。読者の皆さん、今年もどうぞよろしくお願いします。

 ちょっぴり遅いが、今週はお節料理の話。例年、自家製のお節を楽しんでいるが、今年はデパート系の物に初挑戦した。高値におびえつつ、展示見本の中から選ぶのはとても楽しい。お財布と相談して、今回の原稿料に相当するものに決めた。
 丁寧に重箱に詰められた珍味ではなく、生活に根ざしたものから単純な語呂合わせまで、それぞれ意味が込められているのがおもしろい。
 例えば田作はもともと、田畑の肥料として使われていたカタクチイワシを、新しい年の豊作を願いつつ食べたもののようだ。ハイテク日本のお節にも相変わらず顔を出すのは興味深い。
 「めでたい」の「タイ」、「よろこぶ」の「昆布巻き」の由来を初めて知った時、今も昔も変わらない日本人のユーモアに思わずうなずいた。オヤジジョークでは誰にも負けない僕は、こういうのが特に好き。
 日本人の間でもあまり知られていないようだが、五段ある重箱のうち、一番下の五の重を「控えの重」として空にしておくのは、さきざきさらに富が増える余地があることを表しているそうだ。場所を用意して福を待つという発想は、なんだかカワイイ。
 里帰りし、家族に囲まれながら楽しむお節料理の重箱には、日本人の文化や心が彩り良く詰め込まれていると思う。

Posted at 10:11 午後     Read More  

 伊万里焼


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8年ほど前、米国での出来事だ。フランス人のイヴァン・トゥルッセルは、日本人の妻から誕生日に、1枚の古い伊万里焼の絵皿をプレゼントされた。イヴァンはジャーナリストとして日本に滞在したことがある。以前から日本の古い?笥や民芸が好きだったし、もちろん日本の磁器を見るのは初めてではなかったが、白い生地に繊細な柄の描かれたこの皿の美しさに、あらためて感動した。そして日本から遠く離れたカリフォルニアで、少しずつ伊万里焼の収集を始めた。

 イヴァンの情熱はとどまることを知らず、2003年に日本に戻ると、大学でフランス語を教える傍ら、秋葉原の裏通りに夫婦で店を開くまでになった。
「収集からこの世界に入ったが、いつの間にか売る側に立ってしまった。売る立場になって、コレクターでいた時よりも、良いものに出会うを機会が増えた」。業者として、旧家の蔵などから絶品の伊万里焼を掘り出すこともあるそうだ。「個人的には、藍と白の対比が美しい『藍柿』や、元禄時代の柿右衛門が好き。気に入ったものを1個1個買い、店に並べているが、お気に入りのものに買い手がつくと、手放すのがとてもつらい」
 イヴァンは、伊万里焼に寄せるこの情熱を、他の人にも伝えたくなったという。現在、伊万里焼についての専門書を書き下ろしている。クールなプレゼントのおかげで人生が決まることもあるようだ。


Posted at 03:43 午後     Read More  

 ちんどんに魅了されたピエール・バルー


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 長年の友人ピエール・バルーは、映画「男と女」の作詞家・歌手・俳優として名高いが、ブラジルのサンバなどワールドミュージックをいち早くフランスに紹介した人でもある。現在、ブラジル、パリ、そして東京で暮らすバルーは、日本のチンドン音楽をとても高く評価している。「フェリーニの映画に現れそうだ。庶民的で、遊び心があって、もちろん音楽的にも優れている」
 バルーが初めてチンドンに出会ったのは、作家でシャンソン歌手の戸川昌子が経営する渋谷のバー「青い部屋」。そこで演奏されていたのは、街でお馴染みのチンドン音楽のほか、ジャズや童謡、ワールドミュージックなどをアレンジした「ネオチンドン」だった。あまりにも感激したバルーは、彼らをフランス西部の小さな村で彼が毎年主催する音楽フェスティバルに招き、現地の人々に紹介した。
 バルーのチンドン屋に対する憧れは、実は個人的にものすごく理解できる。僕も20年前に初めてチンドンを聞いた時は、その非日常的な響きの音源をとらえてやろうと、矢も楯もたまらず、カメラを抱えて外に出た。その後、毎年富山市で行われる「全国チンドンコンクール」に出向き、後年、審査員になるほどのめりこんだくらいだ。

 来週9月17日、恵比寿ザ・ガーデンホールで開かれるバルーの15年ぶりのホールコンサートには、「ちんどんブラス金魚」というグループも出演する。今からとても楽しみだ。 



Posted at 12:03 午後     Read More  

江戸小紋の和紙


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 先週はカナダ出身の写真家が試みる新しい和紙の使い方を紹介したが、今回は伝統を支える和紙に注目したい。江戸小紋の繊細な柄に不可欠の、和紙製の型紙だ。大きさおよそ45センチ×30センチ。細かいものだと1センチ四方におよそ100個もの小さな穴をあけて、文様が彫られている。

 僕が初めて型紙を知ったのは、装幀家の熊谷博人氏のコレクションを見せてもらったのがきっかけだった。その縁で、人間国宝の染師・小宮康孝氏の仕事場を訪ね、作業の様子を見学した。

 板に張った絹地に型紙を付け、箆を使ってむらのできないように糊を置いていく。1反(約12・5メートル)を染めるのに、この作業を40〜80回は繰り返すので、型紙の和紙には、耐久性と耐水性が求められる。

 康孝氏の長男で小宮家3代目である康正氏によると、特注した紙に柿渋で加工して何枚かを貼り合わせたものが、産地から届く。それを何年か寝かせて渋を安定させた後、発注する型紙の柄に適した厚さのものを選ぶ。1000枚つくってもらったうちの50枚程度だそうだ。そこに専門の職人が彫刻刀で文様を彫って型紙が出来上がるが、染めに使うまでに、さらに数年寝かせる。

 和紙・型紙・染めという3つの技術が高い水準で保たれて、初めて成り立つ江戸小紋。しかし今では国内需要が減って、技術を保つのが難しくなりつつある。江戸小紋がこの世から消えてしまわないように、その良さを海外にアピールして、愛好者を増やす工夫をしたいと思った。


Posted at 03:29 午後     Read More  

 絣織りのシャツ


 KasuriShirt.jpgボンジュール、夕刊フィーチャー読者の皆様。これから一年間このコラムで僕が感じたクール・ジャパンを再認識していただければと思う。僕はフランス生まれでフランス育ち。20歳を過ぎた頃に来日して、以来20年間東京で暮らしながら、ジャーナリストとして活動してきた。これからこのコラムで、僕が感じた「クールジャパン」を紹介していこうと思う。

日本人にとって当たり前の日常的な商品や習慣でも、実は外国人からしてみれば、すごくカッコいいモノがいっぱい。そういうモノを改めて、新しい目で見てもらいたい。

第一回クールジャパン商品は、昔から気に入っている絣織りのシャツだ。

取材で四国や九州に行くたびにローカルの絣織り専門店には必ず寄り、男性用のシャツがあったら2、3着は買う。だが、お店の人に尋ねると、女性用のモデルがほとんど。どうも男性用は人気がないらしい。日本人の感覚では絣織りはおじいさんくさいようだが、僕にしてみれば素晴らしい素材だ。

    今、普段着としては絣織りのシャツしか着ない。デザインがシンプルで、模様があまりうるさくないので、どんなシチュエーションでも着られるからだ。しかも丈夫なので、何年も持つ。襟がすぐダメになるその辺のワイシャツよりはるかに素晴らしい品だと思う。

    唯一の悩みは扱っている店が少な過ぎること。メンズウェア屋さん、どうか絣織りシャツをもっと取り入れてください。

    クールだよ!


Posted at 12:08 午後     Read More